
これまで教えた子の中に数人,素晴らしく出来の良い子がいました。単に難しい問題を解くことができるというのではなく,式をいくつか書かないと計算が進まないはずの問題でも,問題文を見ただけで答えを出す子がいたのです。私の働いていた塾では,御三家を希望する子たちが多かったのでクラス分けをしていました。その一番上のクラスで速さに関するちょっと面倒な問題を黒板に書き,さあ解いてもらおうかと思った矢先,1人の子が手を上げたので「何?」と聞いたら,いきなり答えを言ったのです。そんなに単純な問題ではなかったのですが,説明をさせたところ,スラスラといくつかの式と答えを言って,最後まできちんと説明してくれました。
その子は頭の中ですべて処理したのです。こんな子がいるのかと非常に驚きました。他の子たちも「おお~」と驚いていました。これは生まれつきの珍しい才能なのでしょう。私は高校時代,同じような経験をしたことがあります。
Y君という同級生がいました。私は少々自分の学力に自信があったのですが,いつも彼には負けてばかりいました。ある日,彼はどのように授業を聞いているのだろうと観察したことがあります。私の席は彼の席のちょっと斜め後ろだったので,彼の様子はよく見えました。私は先生が板書したことだけではなく,説明された言葉もノートに書きまくっていたのですが,Y君はなぜかじっと先生を見つめてばかりいました。その日は6時間の授業がすべて英数国でした。6時間目が終わったとき,私はY君の所に行き,「ちょっとノートを見せてくれる?」と言いました。彼はけげんな顔をして「なんで?」と言ったのですが,そこは強引に頼んで見せてもらいました。すると,英語や数学や国語の授業が合計6時間もあったにもかかわらず,彼のノートにはたった1ページに数行,しかもバラバラに,おまけに斜めに汚い字で何か書いてあるだけでした。
「こんだけ?」「うん,これだけ」「なんで?」と聞く私に彼が放った言葉は衝撃的でした。「見ていると全部覚えちゃうんだよね」・・・ぶんなぐってやろうかと思いました(ウソです)。でも,本当に驚きました。たぐいまれな才能というのはこのようなことを言うのでしょうか。
じつは私は高校卒業後,家庭の経済的事情で大学に通えなくなり,親と別れる決心をしていわゆる家出をしたのですが,そのとき助けてくれたのがY君でした。京都の彼の下宿に1ヶ月以上お世話になり生き延びたのです。東大入試が中止になったとき,浪人して1年後の東大受験を考えた友人が何人かいましたが,Y君は京都大学の法学部を受験し現役で合格していました。彼の下宿でお世話になりながらも暇なときは京都のあちこちをさまよい歩き,もう自分の人生は終わるのかもと考えたときが何度もありました。今こうして生きていられるのはY君のおかげなのです。あのとき,なぐらなくて良かったです。
このような天才的な人物はまれですが,共通点があります。「字が汚い」です。なんでもすぐに分かってしまうので,手を動かさない,字を書かない,という習慣が身についたためだと思います。私たち普通の人間は天才的才能をうらやんでいないで,地道に手を動かし,きれいな字を書くように努力しましょう。自分は字が汚いから天才かもと思うのは,おそらく勘違いです(笑)。

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