私の偏見

 今回が最後の投稿になります。投稿はこれで65回目くらいです。延べのアクセス数は1700弱でしょうか。今月で契約が切れるので,自動的に閉鎖されると思います。今月末まで残すことあと数日なので、いつもは土曜日に投稿していましたが,今回は昨日に続けて投稿します。これが最後です。

 ブログは,多くのフォロワーを持っている有名人が紹介でもしてくれないとアクセスは伸びず消滅していくものが多いそうですが,その通りですね(^o^)まあ,もう歳だし,自分が塾業界でやってきたこと,考えてきたことをまとめてみようとしたことはできたのかなと思っています。

 もうどうせ最後だから,思い切って私の偏見を書きます。教科と人柄についてです。算国理社の他に,数学英語の担当教師がいますが,なんとなくですが,「頑固」「人の意見を聞かない」人たちが多い教科があります。国語・理科・社会です。この3教科を専門とする人の多くは「頑固」です。科目別の教科会議が開かれることが何度かありましたが,「算数」「数学」「英語」の分科会は比較的すぐに話し合いが終わるのですが,他の教科はとにかく時間が長いです。いつまでやっているんだよと思ったことが何度もあります。

 国語では印象的な出来事がありました。ある年,ある学校の入試問題を分析しているとき,国語の問題に次のようなものがありました。「この物語の最後の1行は次のどれか選びなさい」。じつは私はその小説を読んだ記憶があり,「答えは~だと思いますよ」と言ったのですが,国語の担当は納得しませんでした。そこで私は次の日,持っている本を持参して証拠を見せたのですが,納得しない国語の担当はこう言い放ちました。「作者が間違っている」。すごいですよね。そこまで頑固になれるのはたいしたものだと感服し,あきれ果てました。

 ところで,このように文章中の一部を切り取ってそこに何が入るかを問う問題はよく見かけますが,私はこれが大嫌いです。詩にしても小説にしても,みな芸術作品です。芸術作品の一部を切り取るという行為は,作者に対する敬意がないと思うからです。たとえば,ピカソのゲルニカの一部を切り取って,そこには何が描かれていたでしょう,という設問が成り立つわけがないですよね。それと同じです。しっかりと読み進めれば最後に何が書いてあるべきか分るはずだ,という理屈で作問しているのでしょうが,それは問題作成者の「おごり」でしょう。「この作品はこのように鑑賞するべきものだ」「作者はこのような意図で書いているはずだ」と決めつけているからです。昔,大学入試で使われた作品の作者が模範解答を見て「ああ,私はそのような意図で書いていたのですか」と笑ったという話がありました。国語の問題を作る側(国語の先生)には,偏った考えを持っている人が多いということではないかと思います。

 社会も理科も,専門的知識を得るために絶え間なく努力をしてきた方々が多いと思いますが,そのせいなのか自分の考えに絶対的な自信を持ち他の意見を受け付けない,思想的に凝り固まった教師が多かったです。私立中学の入試問題でもそれを感じさせる学校があります。

 勿論,国語でも理科でも社会でも,こちらの意見もよく聞いてくれる話の通じる人はいましたが,算数,数学,英語の教師と比べると少ないかな~と・・・私の偏見ですかね(^o^)・・・ちなみに,私の姉は中学校の国語の教師でしたが,人の話はよく聞く人です。

 最後になりました。1年間お付き合いしていただいた方々,ありがとうございました(^o^)