
前回書きましたが,私の大学への通学時間は3時間半でした。始発のバスに乗っても1時間目の授業には間に合いません。当然通うことは考えられませんが,通わざるを得なかったのです。なぜそんなことになったのか。馬鹿馬鹿しい話なのですが,実際の私の体験です。中学入試には何の関係もない話になりますが・・・
高校を卒業する年,例の安田講堂事件で東大入試が中止になりました。それで私は東工大を受けたのですが落ちました。数学はほとんどできたと思うのですが,物理がまったくダメでした。理系を選んだのは単に数学が好きだったからで,理科は得意とは言えませんでした。数学以外の好きな科目は英語と世界史でした。大学を間違えたのかも(>_<)。東工大を落ちたら浪人という予定だったのですが,来年東大に受かる保証はないからそのときの練習のために横浜国大を受けてこいと父親に言われました。それで落ちたときの言い訳になるように一番倍率の高い造船工学科を受け,たまたま合格したのは嬉しかったのですが,当然通うつもりはありません。何しろ3時間半ですし,造船には何の興味もありません。
ところが父親の態度が急に変わり,合格したのだから通えと。当時父親は再婚して子どもができ,退職金を前借りして家を新築していたので私に回すお金がなかったようです。私は月1万円の奨学金を受け取ることにし,交通費と昼食代をそれでまかないましたが,教科書を買うお金は残りませんでした。1時間目の授業には間に合わず,教科書もない学生が大学で学び卒業することなど,どう考えても無理です。下宿を希望したのですが,そんな金はないと言われました。父親は,私は横浜国大には合格するだろう,あとは自分で何とかしろと最初から考えていたのだと思います。むなしい思いで2年が経ち,必要な単位を取れないでいるうち,もうダメだと決心して家を出たのです。「天才的な子」で書きましたが,京都大学の法学部に通っていた秀才Y君の下宿にお世話になったのはその後でした。我ながらよく生きながらえたものだと思います。改めて「Y君ありがとう」(^o^)
ところで,私は東大を受験しても受からなかったかもしれません。その可能性は高かったでしょう。でも当時,安田講堂に立てこもり受験を邪魔した東大の全学連の1人が,その後予備校で講師をしているという話を聞いたときは本当に嫌になりました。受験を邪魔した人が受験指導・・・おかしくないですか?
横浜国大でも学生運動のあおりを受けました。教育学部が学生運動で封鎖されていて,1年生の私たちはいきなり工学部で3年生になってから受けるはずの専門課程を勉強することになりました。学校側としては,授業が行われないことによる単位不足で卒業できない生徒が出ることを懸念したのだと思います。まあ,それはいいのですが,いきなりの専門課程,まったく何をやっているのか理解できないことだらけでした。使われる言葉が分からないのです。そしてある日,自習をさせられているとき,校内放送が聞こえてきました。「いま講堂で学校側と学生代表の交渉が行われています。工学部の学生は講堂に集まりなさい。」
皆,慌てて荷物をまとめて講堂に向かったのですが・・・なんと,講堂の前に大勢の機動隊が立ちふさがっていたのです。中に入れろと言っても盾でふさいで入れてくれません。中をちらっと見ると,黄色いヘルメットをかぶった学生で一杯でした。彼らと交渉するために自習時間にしていたのだとわかりました。当時横浜国大は中核(白ヘルメットだったような)の砦と言われていて,黄色いヘルメット(民青と聞きました)の勢力は弱かったので,講堂を埋め尽くすほどの数は考えられません。学生代表などとんでもない話です。あとで聞いた話では,他の大学から集めた民青を学生代表と大学側が勝手に認め,まだ中核に占領されていた教育学部を解放するための交渉をしていたようなのです。
このあと衝撃的な出来事が起こります。騒いでいる私たちに向かって機動隊が整列を始めたのです。ん?これはなにかやばいかもと,逃げ足の速い私は後方に下がったのですが,「機動隊前へ!」の号令が響き,1列に並んだ機動隊が盾を水平に構えて私たちに突入してきたのです。皆,教室から出てきた格好であれこれ叫んでいるだけで,だれも石を投げたり暴力的行為はしていないのに,そこに機動隊のあの重い盾が水平に突っ込んできたのです。私は逃げおおせましたが,後を振り返ると数人が倒れていて,校庭には教科書や鞄が散乱していました。機動隊にとって,教育学部を封鎖している中核も一般学生も同じなのでしょう。ただ権力の言いなりになっているだけの組織の恐ろしさを見た感じでした。
造船工学科に合格した20名ほどのうち,現役生は私を入れて3人だけでしたが,そのうちの1人が「おれ,ここやめるわ。来年東大を受けてみる」といいました。うらやましかったです。私はその後、大学に通わずあちこちをさまよい歩く生活をするようになりました。

